キリスト教教育

キリスト教教育

 

活水女子大学では、授業期間中、火曜日と木曜日に「朝の礼拝」を行っており、心洗われるひと時をもって一日を始めることができます。15分間という短い時間ですが、オルガンに導かれて讃美歌を歌い、聖書のことばに触れ、メッセージを聴きます。メッセージは、宗教センターが年に5回発行している「Chapelmate(チャペルメイト)」に掲載されています。  このページでは「Chapelmate」の中から、朝の礼拝と「魂譲(たまゆず)り」の言葉をご紹介します。

 
  • 「魂譲(たまゆず)り」についてはこちら
 
 
2017 秋季号

−朝の礼拝から 1−

Can We All Get Along?

(ローマの信徒への手紙12 章9 〜 18 節)

 On March 3, 1991, Los Angeles taxi driver Rodney King was involved in a high-speed chase with the police. When he was caught, four police officers were videotaped beating King as he lay defenceless on the ground. The following year, the police officers were found not guilty of doing anything wrong, which led to six days of rioting by some of the angry citizens of Los Angeles who believed King was not given justice. At the height of the riots, King appeared on television, disturbed by the violence that overwhelmed the city in his name, and appealed to everybody, “can we all get along?”

 Today, we live in different times, but many of the problems that existed in 1992 are still with us. On top of those troubles, there is also the rise of international terrorism. As of the time of this writing, the capital city of my country, London, has been victim to three different recent attacks, one in Westminster near the world-famous Big Ben, one on London Bridge and the latest, an attack on Muslim worshippers coming out of Finsbury Park Mosque. While it would be incredibly naive to imagine there is a simple solution to any of these problems, Rodney King’s plea still rings true, “can we all get along?”

 One of the keys to these and many other problems afflicting us is that too often we look at what separates us, what makes us different from each other, before we consider what things we may have in common. We tend to notice differences first and unfortunately many do not look further before similarities start to become apparent. This is not to say we must all believe the same things, such as people from different religions may not agree on many issues, but the devotion they both have to their religion in a way unites them. If that common devotion can be seen as something that they share, rather than split them apart, it could be a foundation upon which to grow. Maybe it could be possible for us to “all get along”.

 This is a very simplistic and even naive viewpoint on an incredibly complex set of issues, but it may be the starting point for progress in getting past these problems that plague us in these troubled times-it may be hope where currently there is none. We cannot expect everyone to believe what we believe, to see what we see, and to feel in their hearts the same as we do, but perhaps looking for our similarities is the first step we must all take. Will we then be prepared to take the next step? And the one after that? It will not be easy, but if we are, then together perhaps there is a hopeful answer to Rodney King’s question, “can we all get along?”

Richard Bent(英語学科)

−朝の礼拝から 2−

ヴォーリズの精神を宿す校舎

(マタイによる福音書6 章31 〜 35 節)

 本日は、この学園に迎えて頂き、はじめての礼拝の司会となります。足りない者である私が,家族をはじめ、数多くの皆様の祈りに支えられ、この学園に迎えられ、そして、この段上にいますことを、わたし自身は、少し不思議に思いながらも感謝しつつ、このことの意味について思いを巡らす、そのような毎日を過ごしております。
 さて、建築を専門とする私にとりまして、この学園に迎えられましたことは、個人的に非常に感慨深いものがあります。それは、この学園の校舎がクリスチャン建築家でありましたヴォーリズによって造られたものであるためであります。戦前戦後に活躍した建築家であるヴォーリズは、キリスト教の伝道者として来日し、本日の御言葉でもあります「神の国の建設」に、様々な事業を通して、生涯を捧げた人でもあります。
 ここで、ヴォーリズの行った事業について、簡単にご説明しますと、まず、ヴォーリズ設計事務所を経営し、戦前から戦後にかけて、1500 を超える様々な建築物を設計しています。一般に、建築家はその生涯において100 棟も設計を行えば多い方に数えられますので、ヴォーリズの実績の異例の多さに驚かされます。二つ目としまして、近江兄弟社という商社を設立し、当時としては最先端の建築関連備品の輸入とともに、あの有名なメンソレータムを販売、成功を収めています。加えて先進的なサナトリウムを備えた医療事業、幼稚園や女学校経営等の教育事業等、福祉事業も行っています。
 彼が、建築のみならず、多くの事業を設立、成功へと導いていることに、一人の人間がこのように多様なことが出来るのかと、本当に驚かされます。
 では、ヴォーリズのこのような成功は、どのようにして成し遂げられたのでしょうか?
 ヴォーリズは、失敗者の自叙伝という、彼の手記の中で、このように語っています。「すべての成功とは、意識するとしないとに関わらず、完全に神の意思の道具になりきった者の到達する境であり、すべての失敗とは、創造主との接触を失うか、神の導きに従わずに、自己の欲求や考えに従ったために、神との連なりが遮断された者の行き着く到達点である」と述べています。
 琵琶湖のほとり近江八幡に平和と隣人愛にあふれた理想的な「神の国」を築こうとする、ヴォーリズの掲げたミッション。そのミッションは、戦前戦後の大変厳しい時代にあって、彼が神の道具として生き抜いたたからこそ、実現できたものではないでしょうか?
 では、今日を生きる私たちにとって、神の国とはどのようなものでしょうか? このように偉大な実績を納めたヴォーリズさんのことを思うと、不完全で信仰の薄い私は、只々、呆然としてしまいます。しかしながら、本日の御言葉の後半部分、「だから、明日のことまで思い悩むな」と記されている通り、日常を「神の国」の実現に徹すること、平和と隣人愛に溢れた場を造り出すことに全霊を傾けること、そのことにより、神の国の実現は成されるのではないかと思わされます。わたしの事でいえば、例えば、日常の授業の中で、如何に学生に向き合うか、生きた言葉で授業を行うか、などなど、日頃のこうした一つ一つの行いが、その先にある「神の国」に繋がっていくのではないかと思わされます。
 ヴォーリズの精神を宿す、この建物に見守られつつ、主の道具としての自覚を持って、一日一日を歩んで行きたいと思わされます。

橋口 剛(生活デザイン学科)

 
2017 初夏号

−朝の礼拝から 1−

「花を咲かせ、豊かな実りをもたらすもの」

(ヨハネによる福音書 15 章 5 節)

 「置かれた場所で咲きなさい」というのは、カソリックのシスターで岡山のノートルダム清心女子大の学長であった渡辺和子さんの著書名ですが、本のタイトルという以上にこれは大変有名な言葉でもあります。渡辺和子さんは、9 歳の時に、2.26 事件でお父さんが目の前で殺されたという壮絶な経験をされました。今なら心的外傷後ストレス障害(PTSD)でしょうが、その死が脳裏を離れず、殺害した人たちを憎みながら生きるという筆舌に尽くしがたい苦しみを背負い、やがて信仰を得て、運命は選べないけれども、私たちはそれぞれの場で花を咲かせることが出来る、豊かに実ることが出来る、という「置かれた場所で咲きなさい」という勇気がじんわり与えられるこのような言葉を私たちに伝えて下さっ ています。
 皆さんもこれからそれぞれの場所で素敵な花を咲かせていかれることと思いますが、しかし、なぜ私たちは花を咲かせ、さらには実を実らせることが出来るのでしょうか。もちろんそれは私たちの中にそのような種があり、可能性が与えられているからなのですが、でもその種、可能性はどこから、誰から来たものでしょうか。
「 ヨハネによる福音書」には次のようにあります。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからなのである。(15 章5 節)

 私たちが活き活きと自分らしく生きることが出来る、その人生が実りある豊かなものとなるのは、ぶどうの木とその枝のようにイエス様という神の子である大きな存在と繋がっているからなのです。このようにまた、それぞれに花を咲かせ、豊かに実らせる種を与えて下さるのもイエス様なのです。少なくともミッションスクールではこのように考え、そのことを大切にしています。
 それぞれ素敵な花を咲かせ、豊かな実りがありますように心からお祈りしております。

上出 恵子(子ども学科)

−朝の礼拝から 2−

「愛の神様」

(ヨハネの手紙T 4 章 7-11節)

 皆さん、おはようございます。私は現代日本文化学科4 年の崔世恩と申します。
 今年度の活水女子大学の学院聖句はコリントの信徒への手紙U 13 章11節です。お読みいたします。「愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」。皆さんも各館でおそらく目にしたことがあると思います。
 私はキリスト教が愛の宗教だと思います。聖書の最初から最後まで人間に向けた神様の愛が記されています。その愛の確実な証拠がこの世界にこられたイエス・キリストであり、神様の愛を信仰のない人々に伝えて殉教者になった話が書いてあります。私も神様の愛を心から感じることがきっかけになって以前とは全く違う人生を送っています。
 神様は、私たちを先に愛し、私たちのために大切な御子イエス・キリストを十字架につけられました。他の理由はないです。神様が私たちを愛してくださったからです。私も最初は、それがただ頭に入った知識でしかなかったですが、心から信じるようになってからは、自分の価値観が変わりました。人生の目的が自分の成功ではなく、神様の栄光を表すことになりました。おろかな私ですが、私の小さな行動でもほかの人が神様の愛を感じられるようにといつも祈っています。
 自分の人生は失敗ばかりだと思っていた私が、神様の愛を心から感じるようになってから、「幸せに人生を送っています」と言えるようになったように、絶望や悲しみの中にいる人々もきっと神様の愛を感じられると、これまでとは違う人生を送れると思います。
 ヨハネによる福音書13 章34 節に、主が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合いなさいと書かれています。社会には様々な問題がありますが、自分のことだけを考えるのではなく、すべての人が愛をもってお互いに愛し合うことができれば、世界は神様によって愛と平和の世界に変わり、皆は幸せになると思います。一人の人が生まれ変わるのは難しいですが、神様によって成長した人が神様の愛をもって行動すると、世界はもっと良い世界に変わると思います。世界の人々が「愛と平和の神様」を信じるように、これからも一生懸命に神様を伝えるつもりです。

崔 世恩(現代日本文化学科 4 年)

 
2017 春季号

−2016年度卒業式より−

魂譲り(譲り手)

 

 今日、私たちは活水女子大学での学びを終え、それぞれに与えられた新たな道を歩もうとしています。これまでの学生生活を振り返ると、楽しかったことや嬉しかったこともありましたが、悲しかったことや辛かったこと、思い悩むこともありました。
 活水学院は今から138年前、愛と奉仕を建学の精神として掲げ、「この学院に連なるすべての者が、いつまでも渇くことのない活ける水を豊かに汲み取り、永遠の命を得るように」との祈りを込め、エリザベス・ラッセル先生が創立されました。この手桶には、その思いが満ち溢れており、ここに結ばれてきたリボンの一本一本には、先輩方の祈りが込められ、活水の伝統として今もなお受け継がれております。
 今回私は、卒業生を代表して、「白」と「ぶどう色」のリボンを新たに結び加え、在学生の皆様にお譲りいたします。白のリボンには、「希望の光に照らされながら誠実に過ごしてほしい」との願いを、ぶどう色のリボンには、「互いに思いやる気持ちを忘れず、隣人を大切にして欲しい」との願いを込め、お譲りいたします。
 在学生の皆様、どうかこのリボンに込められた思いを心に留め、「活ける水を汲み取るもの」となってください。
 皆様の歩みの支えとなるよう、ルカによる福音書10章27節の御言葉、「心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」をお贈りいたします。
 この日まで私たちを支えてくださった家族や教職員の皆様、また励まし合いながらともに歩んできた友人たち、そしていつも共にいて導いてくださった神様に感謝いたします。
 最後に、活水学院の上に、神さまの豊かな祝福とお恵みが限りなくありますよう心よりお祈り申し上げます。

中山ニッキー(音楽学部音楽学科卒業生)

 

魂譲り(受け手)

 

 卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。
 ただいま、これまで多くの先輩方より受け継がれて参りましたこの手桶をお譲り頂きました。今年は新たに、「希望の光に照らされながら誠実に過ごしてほしい」との願いを白のリボンに、「互いに思いやる気持ちを忘れず、隣人を大切にして欲しい」との願いをぶとう色のリボンに託し、結び加えて頂きました。
 わたくしたち在学生は、この2本のリボンに込められた思いを心に深く刻み、「永遠に渇くことのない、活ける水」を汲み続ける活水の学生として歩んで参りたいと思います。
 卒業生の皆様はこの学び舎で、神様の大きな愛の光を受け、先生方や友人、ご家族の祈りと支えに励まされ、日々、その土壌を豊かに耕して来られました。そして本日、一粒一粒の種が豊かな実を結び、しなやかに美しい花を咲かせておられます。
 これからはそれぞれの道を歩んでいかれますが、喜びや感謝の時ばかりではなく、困難を覚える時や忍耐を試される時もあると思います。しかし、どのような時にも神様はいつも共にいて、最善の道を備えてくださいますから、どうぞ神様に信頼し、愛の人として輝く未来へと歩みだして下さい。
 最後に、今後の新たな歩みのうえに、神様の豊かな祝福と御護りがありますよう、心よりお祈り申し上げます。

花岡真咲(健康生活学部子ども学科3年)

 
 
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