キリスト教教育

キリスト教教育

 

活水女子大学では、授業期間中、火曜日と木曜日に「朝の礼拝」をおこなっており、心洗われるひと時をもって一日を始めることができます。15分間という短い時間ですが、オルガンに導かれて讃美歌を歌い、聖書のことばに触れ、メッセージを聴きます。メッセージは、宗教センターが年に5回発行している「Chapelmate(チャペルメイト)」に掲載されています。  このページでは「Chapelmate」の中から、朝の礼拝と「魂譲(たまゆず)り」の言葉をご紹介します。

 
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2015 冬季号

−朝の礼拝から 1−

「歴史に学ぶ―美術科教師・中尾幸枝」

フィリピの信徒への手紙4章8節 

 活水学院の至宝といわれる小チャペルの説教台と椅子は中尾幸枝が当時(1899年)の美術科生徒を指導して作らせたものであることはほとんど知られていません。彼女は長崎県下の豪農の家に生まれ、早い結婚と離婚の後、活水女学校に入学しました。彼女の才能を見抜いたラッセル先生は、オハイオ州ウェスレアン大学で美術を学ばせました。4年後(1893年)、中尾幸枝は日本に帰国し、活水女学校美術科の教師として活水に勤務し始めました。その時から彼女の人生を変える出会いが待っていました。
 活水女学校に隣接する鎮西学館(現、鎮西学院)に田添鉄二という生徒がいました。彼は鎮西学館卒業後、アメリカのシカゴ大学に留学し、1900年に帰国。2年後に中尾幸枝と結婚します。鉄二27歳、幸枝34歳でした。二人はやがて上京し、鉄二は「平民新聞」を舞台に社会主義思想に基づいた日本社会の分析と著書の刊行に傾注し、日本社会党の結成にも参加します(1906年)。翌年には有名な幸徳秋水と田添鉄二の論争を展開。日本社会党は直接行動主義と議会主義に分裂。幸徳は後に大逆事件を引き起こして処刑されます(1910年)。
 田添鉄二はその2年前にわずか32歳8か月の生涯を終えます。中尾幸枝はその間、東京で画塾と英語塾を開き、二人の男の子と鉄二の生活を支えました。当時、女性の美術家に対する偏見と差別に抗して、「西洋美術協会」を設立しますが、彼女の芸術と主張は無視され続けます。鉄二を失った彼女は中国四川省成都の女子師範学校で教え、後、上海に移住。日中戦争激化のため日本に帰国し、1944年に波乱にとんだ76歳の生涯を終えます。彼女は活水が育てた早く目覚めた女性の一人であり、強い意志を持って生きることを、私たちに教えています。

服部 康喜(現代日本文化学科)

−朝の礼拝から 2−

「長崎がんばらんば国体、長崎がんばらんば大会」

コヘレトの言葉3章1〜4節 

 皆さんおはようございます。英語学科3年の野口亜莉沙です。
 11月に入り、少しずつ冬を感じる季節となってまいりました。10月12日から11月3日まで、「長崎がんばらんば国体・長崎がんばらんば大会」が45年ぶりに長崎で開催されました。
 県民総参加のもと、地域の特性を活かすとともに、創意と工夫を凝らし、長崎県らしい魅力あふれる大会の開催を目指して万全の準備を整えるため、平成17年に実行委員会が設立されました。10年以上も前から設立されていたとはご存じない方も多いのではないでしょうか。それだけ多くの人々の想いがつまった国体が長崎で開催されたのです。
 私はボランティアとして「がんばらんば大会」に参加させていただきました。大会の長崎県選手団の総合成績は金メダル39個を含む135個のメダルを獲得しました。長崎県民として誇らしいばかりです。
 「がんばらんば国体」の前には事前にボランティアに参加する方々が集まる機会が設けられ、おもてなしの心を学びました。それからというものボランティア当日が楽しみで仕方ありませんでした。
 そして、ようやく迎えたボランティア当日こんなことがありました。私がボランティア活動をしているときに一人のろうあ者の女性の方がにこにこしながら、私に微笑みかけてこられました。しかし、私自身、手話ができないため、その女性が私に何を伝えていたのかが分からず、また答えることもできず、とても心残りに思いました。その日から私は手話を独学ですが勉強しています。
 あの時の女性の素敵な笑顔があったからこそ、こうやって勉強できているのだと思います。今日の聖書の箇所にもあったように「何事にも時がある」のです。あの時、ボランティアに参加していなければ、手話には巡り合えていなかったと思います。何が起こるかわからないのが人生だと言います。皆さんにも何かに巡り合う「時」を逃さないためにも様々なことに挑戦してみてはと思います。

野口 亜莉沙(英語学科 3年)

 
2014 クリスマス号

−朝の礼拝から 1−

「もし、自分だったら」

マタイによる福音書 7章7〜12節

 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」この聖書の言葉通りに実行した女性を紹介いたします。その方はドイツ人で、梅村マルティナさんとおっしゃいます。カラフルな毛糸をドイツから取り寄せ、京都で編み物教室を主宰されていました。
 2011年3月11日「東日本大震災」が発生しました。マルティナさんは、連日放送される被災地の映像を見るたびに、「私には、何ができるだろう?被災された方は何を求めているだろう?」そのことばかりを考えるようになります。「もし、自分が避難所生活を送ることになったら、一番欲しいものは何だろう」と考えた時、「毛糸だ」と思い、毛糸の発送を決意します。周りからは、「まず、水や食料、生活用品が必要なはずだ」との反対の声もありましたが、「辛い時、何もする気力の起こらない時、編むことで気が楽になってくれれば」との思いで、毛糸と編み棒のセットを発送します。暫くすると、気仙沼の小原木中学校避難所から「もっと毛糸を送ってほしい」との声が寄せられました。マルティナさんは、涙が出るほど嬉しかったと言います。小原木では、「この毛糸を材料にして復興のシンボルを作ろう」との話も持ち上がり「幸せをいっぱいつかみとれるように」との意味を込めた、8本足の「小原木タコちゃん」というマスコットも生まれました。
 毛糸で心の安らぎを得ることは出来ましたが、仮設住宅で暮らす方には「働く場所が無い」という問題がありました。そこで、マルティナさんは「ニット製品の製造・販売をする会社を気仙沼に作りたい」と思うようになります。会社をつくる方法も全く分からない状態からのスタートでしたが、「小原木タコちゃんプロジェクト」を通して、気仙沼の方たちとの繋がりができ、震災から1年後の2012年3月「梅村マルティナFSアトリエ株式会社」が誕生しました。
 マルティナさんが考えた「人にしてもらいたいこと」からスタートした毛糸の発送は、被災地に働く場所を提供することに発展しました。「人にしてもらいたいこと」から始めたことは、神様によって「一番必要とされているもの」に変えられていくようです。
 今朝の御言葉は、「求めなさい。そうすれば与えられる」と始まっています。この言葉だけを聞けば、「自分の夢や理想を追い求めなさい。そうすれば神さまが叶えてくださる」と思ってしまいそうです。しかし、イエス様は「あなたが人にしてもらいたいことは何かを求めなさい。そうすればあなたが、やるべきことが与えられる。それを実行しなさい」とおっしゃっているのではないでしょうか。学ぶ時、仕事に向かう時、決断する時、また、上手くいかない時「自分だったら、してもらいたいことは何か」と静かに思い巡らすゆとりと、自分がやるべきことを感じ取り、実行する勇気を求めたいと思います。

大曲 喜美子(音楽学部事務室)

−朝の礼拝から 2−

「命がけの愛」

ヨハネの手紙T 4章7〜12節

 ある一人の人を紹介したいと思います。名前はケント・ブラントリー、サマリタンズパースというキリスト教の支援団体の医師、宣教師として活動しています。サマリタンズパースで働く人たちはみんなクリスチャンでイエス・キリストの愛を分かち合い、戦争、貧困、自然災害、疫病、そして飢餓などで苦しんでいる人々の支援活動を世界中でしています。日本にも東日本大震災の時に支援活動に来てくれ、私もその団体を通して東北のボランティアに行ったことがありました。
 ケイトさん一家はリベリアに引っ越し、サマリタンズパースの経営する病院で勤務を始めました。しかし今年の3月末頃からギニアやシエラレオネでエボラ出血熱が流行しリベリアにも感染が拡大しました。6月頃から彼が勤務する病院にもエボラ出血熱の患者が搬送されるようになりました。そしてエボラ出血熱の患者の治療時に、ケイトさん自身も感染してしまったのです。幸い家族は彼が感染する前に帰国していました。エボラ出血熱は発熱してから感染力が発現するので、家族への感染は逃れられました。彼とその家族はエボラ出血熱で亡くなっている人たちをたくさん見てきました。彼がエボラ出血熱に感染していたことがわかったとき家族は悲しみましたが、彼は神様が深い平安を与えてくれ、泣くことはなかったそうです。それは置かれる場所が変わっても、神様に忠実であり続けたいという願いを持ちそのために必要なことだと考えたからです。病状が悪化していくときも、病気の中でも信仰を持ち続けられるように、そして生きても死んでも神様の栄光を表せるようにと祈り続けたそうです。
 実験的段階のエボラ出血熱の薬のことを同僚から聞き、薬を投与することになりましたが、もう一人キリスト教団体の同僚の医師がエボラ出血熱に感染しており、その人に譲るように言ったそうです。しかしケイトさんの容態が悪くなったためその薬をケイトさんが先に投与し、その後もう一人の医師に投与して奇跡的に回復しました。そしてアメリカの病院に輸送され、元気に退院しました。
 私はケイトさんのこの話を知ったとき、どのような環境でも神様に忠実であり続けること、自分の命を危険にさらしてまでも、神様の愛を届けたいという思いに深く感銘を受けました。「互いに愛し合いなさい」というみことばを実行していると思いました。ケイトさんだけでなく多くの方々が今もいろいろな形で活動をしています。私もそんなに大きな働きはできないけれども、神様から受けた愛をほかの人にも小さな働きからでも、与えられたらいいなと思います。

石原 麻衣(音楽学科4年)

 
2014 秋季号

−朝の礼拝から 1−

「讃美歌に導かれて…」

コリントの信徒への手紙T 10 章13 節

 皆様は“ 自分を支えてくれている讃美歌" を意識なさったことがありますか?
 数年前、卒業生が大分から訪ねて来てくれました。聡明で周囲を和ます優しさを発揮して学生時代を過ごし、憧れの仕事に就いた方です。が、その時は、数年間の仕事上のストレスで心身が悲鳴をあげている状態とのことでした。強い人間不信や孤独感から、心が塞いで身体が動かない辛い毎日が続いていたのだそうです。ところが、そんな時なぜか〈こころを高くあげよう〉この讃美歌がふと浮かび、口ずさむとぽろぽろ涙が溢れてきて、「そうだ。活水に帰ろう!」とやっと自分の意志で身体を動かすことができたそうです。
 すべては神様のご計画なのですね…。彼女を待っていたかのように卒論ゼミの先生がお見えになり、深い語らいの時を過ごしました。その後も複数の先生方が彼女の心に寄り添いながら、学科準備室に和やかな時間が流れました。暫く経って「先生方に囲まれて幼い子どものようにしている自分の写真を見て、両親と一緒に久しぶりに笑い嬉しくて泣きました。私は独りじゃなかったことが今なら解ります。いつでも受け入れてくれる母校があって本当によかった。変わらない人、景観、空気、ホッとします」との手紙を頂きました。
 快復に向けてのご本人の努力とご家族様の支えの深さが心に沁みますが、知らず知らずのうちに彼女の心に息づいていた讃美歌と、かけがえのない思い出が詰まった母校のあたたかい空気は、彼女をより一層強く支えるために神様が備えてくださったものだと思われてなりません。活水は高い学問の教授の場であると同時に、「神様の愛」という希望が心に灯される場であることを、卒業生の私は大変誇りに感じております。後日、お父様から「娘は長崎で重い荷物を下ろしました。活水で良かった」のお言葉を頂戴しました。 
 讃美歌第二編1 番〈こころを高くあげよう〉は、倒れても立ち上がるしなやかな強さの原動力となって、これからもずっと彼女を支え続けるのだろうと思います。

橋本 祐子(文学部・生涯学習センター)

−朝の礼拝から 2−

「あなたは今までに独りになったことはありますか?」

ヨハネによる福音書3 章16 節

 私は活水女子大学に入学して2 年目になり、1 年生の時より馴染んだところもあれば、まだまだこれからだというところもあります。 活水女子大学に入学してよく思うことは、ひとりひとりが個性を持っているということです。
 皆さんは、今までにひとりぼっちになっている人を見たことはありませんか?また、ひとりぼっちになったことはありますか?私は今までに、ひとりぼっちになっている人を見たことがありますし、ひとりぼっちになったこともあります。
 ひとりひとりの個性が異なっていることで、お互いがお互いを信じることができず、同じ空間にともにいることができなくなったりして、ひとりぼっちにならざるを得ないこともあります。
 私は毎日、神様を信じながら笑って楽しく過ごすためには、ひとりぼっちになることはとても悲しいことだと思います。私自身がひとりぼっちになるだけでなく、私の目の前にいる人から、国境を越えたところにいる全ての人々がひとりぼっちになることは、私にとってとても悲しいことです。
 この世の中でその悲しいことを少しでも減らし、一人でも多くの人々が笑った顔で過ごすことが神様のみ胸だと思います。ヨハネによる福音書3章16 節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この言葉を心に留め、毎日自分から笑って過ごし、身近にいる人からたくさんの人々を笑顔にしたいです。一日一日を大切にして、神様を信じ、人に対する優しい心を持ち、笑って過ごしましょう。

中山 ニッキー(音楽学科2 年)

 
2014 初夏号

−朝の礼拝から 1−

「人を許すということ」

ルカによる福音書6章37節

 ある新聞のコラムのなかで、日野原重明先生が、「人を許すことは血のにじむような苦しみを伴いますが、その血の代償として、人は愛を受け、救われるのです」と述べられています。わたしたちは人から傷つけられたり、理不尽なことや不当なことを強いられたりすると、怒りや悔しさの感情に支配されて、相手を「許せない」と思ってしまいます。しかし、誰かを恨み、許せないと思い続けていることは、その思いに心がしばられて、とても不自由な状態にあるといえます。許さないでいる自分が嫌になることもあります。受けた傷が深ければ深いほど、その相手を許すためには血のにじむような苦しみがともなう努力をしなければならないのです。
 主の祈りのなかに「我らに罪をおかすものを我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という一節があります。みなさんはこの一節をすらすらと唱えることができるでしょうか。わたしは、人に対する怒りや悔しさで心が支配されているときは、この一節を唱えるときためらってしまいます。では、人を許せないときはどうしたらよいのでしょうか。許すことができたときの自分を想像してみるとよいのではないかと思います。あるいは、許すとか許さないとかいうのではなく、そのようなこだわりをなくしてしまうとよいと思います。「ああ、いま私はあの人を許せないでいるんだ」と、シンプルにとらえることに留めるとよいかもしれません。
 時間は大きな意味をもちます。どんなに許せないことがあっても、私たちは少しずつ忘れていくことができるのです。許せるのならそれにこしたことはない、でも許せないのなら許せない自分を受け入れていくことで、心が穏やかになるのではないかと思います。そのとき、きっと神様の愛が注がれているのではないかと思います。

コ永 幸子(子ども学科)

−朝の礼拝から 2−

「国境を越えて」

ルカによる福音書6章20節〜23節

私は去年の2月から12月までの10か月間、韓国にある梨花女子大学で留学を経験しました。
 私は留学期間中、留学生の友達と一緒に勉強したり、おしゃべりをしたりし、休日には韓国国内の観光に一緒に出かけたりしていました。また日曜日には隣の大学にあった教会で聖歌隊の一員として活動していました。初めは聖歌隊に参加することに対し、とても躊躇していたものの、練習に参加するたびに他の人たちとも仲良くなり、私は毎日充実した留学生活を送っていました。
 しかし、時には困難に直面することもありました。先輩方の体験談やアドバイスをもとに留学期間中はたくさんのことを学ぼうと、留学前に英語や外国の文化について勉強したり、いろいろと準備していましたが、実際に留学生活が始まると、自分では授業で勉強し理解していたにも関わらず、うまく外国の文化に対応できなかったり、自分の伝えたいことがうまく英語で伝えられないどころか、相手が言っていることがうまく理解できなかったりし、英語を話すことが嫌になってしまうこともありました。しかし、そういった時には周りの友達や先生などが相談に乗ってくれたり励ましてくれて、無事に困難を乗り越えることができました。そうして10か月の留学が終わる頃には、英語での会話にも慣れ、0から始めた韓国語も日常会話ができる程になりました。
 今まで私は外国人は何か自分と違う人だと思っていました。しかし留学中に外国の方と一緒に生活をしてみて、たとえ相手が言語や国籍が違う人であっても、同じことで笑ったり、悩んだり、自分と同じ人間なのだということを学びました。どんな人でもいろいろな悩みや不安があり、落ち込むときがあります。そういう時、お互いに相手のことを尊重し、支えあうことが大切なのだということを学びました。そして私は留学生活を通じてたくさんの人に支えられているということも感じました。無事に留学生活を送ることができたのも私を支えてくれた家族や周りの人たちのおかげであり、そしてなにより神様のお恵みがあったからこそだと感じています。留学期間中に学んださまざまなことを活かして、自分の周りに困っている人がいたときには、お互いに支えあって生きていけるよう努めたいと思います。

山田 ゆり(文学部 英語学科4年)

 
2013 年度卒業式より

魂譲り(譲り手)

 今日、私たちは活水女子大学での学びを終え、それぞれに与えられた新たな道を歩もうとしています。これまでの学生生活を振り返ると友達と過ごした一日一日すべてが私の宝物です。笑ったこと、悩んでいたこと、喜んだこと、苦しんだこと、涙したこと、いつも隣には友達がいました。
 活水学院は今から135 年前、愛と奉仕を建学の精神として掲げ、この学院に連なるすべての者がいつまでも渇くことない活ける水を豊かに汲み取り、永遠の命を得るように、との祈りを込めてラッセル先生が創立されました。この手桶にはその想いが満ち溢れており、ここに結ばれてきたリボンの一本一本には多くの先輩方の祈りが込められ、活水の伝統として今もなお受け継がれております。
 今年は新たに、「人の気持ちを考え、相手の痛みがわかる女性になってほしい」という願いを白のリボンに。「未来を切り拓く凛とした女性になってほしい」との願いを青のリボンに託し、お譲りいたします。
 在学生の皆さま、どうぞこの手桶で活ける水を汲み取り、多くの人に分け与えることができる思いやりを持った女性になってください。
 最後に、皆様の歩みの支えとなるように、マタイによる福音書22 章37節と39 節の言葉「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」を贈らせていただきます。
 この日まで私たちを支えてくださった家族と教職員や学院に携わった方々、地域の皆様、共に学んできた卒業生及び在学生の皆さま、そして、いつも導いてくださった神様に感謝するとともに、活水学院の更なるご発展を心からお祈りいたします。

宮ア 遥(健康生活学部 子ども学科 卒業生)

魂譲り(受け手)

 卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。ただいま、これまで多くの先輩方より受け継がれてまいりましたこの手桶を、皆様からお譲り頂きました。
 今年は新たに、「人の気持ちを考え、相手の痛みがわかる女性になってほしい」という願いを白のリボンに「未来を切り開く凛とした女性になってほしい」との願いを青のリボンに託し、結び加えて頂きました。
 わたくしたち在学生は、この2 本のリボンに込められた思いを心に深く刻み、「永遠に渇くことのない、活ける水」を汲み続ける活水の学生として歩んで参りたいと思います。
 皆様方は、この学び舎で出会った人々の支えや、友達の励まし、また、神様の見守りと大きな愛の中で得た体験や学びを通して、今日、晴れの日を迎えられました。
 これからはそれぞれの道を歩んでいかれますが、喜びや感謝できるときばかりでなく、困難や忍耐を試されるときもあると思います。
 しかしどのような時にも、いつも側に神様がいて守って下さることを忘れず明日への希望を信じ歩み続けてください。
 最後に、今日から始まる新たな歩みの上に、神様の豊かなお恵みと祝福がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

阿野 優梨奈(音楽学部 音楽学科3 年)

 
 
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