キリスト教教育

キリスト教教育

 

活水女子大学では、授業期間中、火曜日と木曜日に「朝の礼拝」をおこなっており、心洗われるひと時をもって一日を始めることができます。15分間という短い時間ですが、オルガンに導かれて讃美歌を歌い、聖書のことばに触れ、メッセージを聴きます。メッセージは、宗教センターが年に5回発行している「Chapelmate(チャペルメイト)」に掲載されています。  このページでは「Chapelmate」の中から、朝の礼拝と「魂譲(たまゆず)り」の言葉をご紹介します。

 
  • 「魂譲(たまゆず)り」についてはこちら
 
 
2014 冬季号

−朝の礼拝から 1−

「試練」のはなし

コリントの信徒への手紙T 10章12節〜13節

 聖書を読んでいくと、「試練」のことについて書かれている箇所が多くあります。
 聖書にはさまざまなことが書いてあり、理解することは難しいものも多くありますが、私たちが生きていくうえで重要なヒントを教えてくれます。
 私たちは生きていくうえで、様々な試練に遭遇します。たとえば、この学院を創立したエリザベス・ラッセル先生のことを考えてみましょう。アメリカ人宣教師であるラッセル先生が、母国から遠く離れたこの長崎という土地で、女子教育を始めるということは、言葉にすれば簡単ではありますが、それほどやさしいことではなかったと思います。言葉もうまく通じなかったでしょう。また女子教育に対する偏見や、社会の目も厳しかったはずです。時には母国へ帰りたいと思ったことでしょう。しかし、ラッセル先生はそのような試練にも負けず、現在も続くこの活水学院を創立しました。
 ラッセル先生がなぜそのような試練に立ち向かうことができたのでしょうか。
 ローマの信徒への手紙の5 章3 節には、「苦難をも誇りとします。」とあります。私たちは、ここに神の愛に対する向き合い方を知ることができます。神は私たちを愛すると同時に試練や苦難を与えます。しかし神が与える試練や苦難を乗り越えることで、私たちはゆたかになれるのです。ラッセル先生も、神がお与えになる試練にたえ、活水学院という希望を残しました。それは与えられた苦難を耐え忍び、神の愛を遠く離れた地にも伝えようと思ってのことだったと思います。
 私たちはどうでしょうか。私たちは今活水学院という希望の上に集まっています。しかしながら、神様がお与えになったこの希望を大きくしていく努力を私たちはしているのでしょうか。私たちは試練や苦難にあったときに、そこから逃げようとしてしまいます。そのようなときにも、今遭遇している試練や苦難の向こうには、希望があるということを思いながら、毎日を過ごしていきましょう。

中野 忠彦(経理課)

−朝の礼拝から 2−

「幸せへの道」

ルカによる福音書6章20節〜23節

 私が通っていた中学校では、毎年合唱コンクールが開催されており、それは、学年ごとに与えられる課題曲と、自分達で選ぶ自由曲の2 曲で順位を争うというものでした。歌う曲が決まった後、指揮者とピアノ伴奏者を決めることになりました。私は、ピアノはあまり弾けないし、人前に立って大勢を仕切ることも苦手だったので、立候補することなど考えてもいませんでした。しかし、友達から「私はピアノ伴奏をしたいからその指揮をしてくれない?」と頼まれ、指揮者を引き受けることになってしまったのです。指揮者としての仕事は、思った以上に大変なものでした。今まで指揮をしたことがなかったために手の動かし方が分からず、なかなか上手くいきませんでした。そして何より1 番大変だったのは、クラス全員をまとめることでした。私の話を真剣に聴いてくれる人がいる一方で、全く耳を傾けてくれない人も数多くいました。心の中では、どうして真面目にしてくれないのだろうと何度も思いましたが、周りの目を気にしてそれを口に出すことはできずにいました。しかし、このままではいけないと思い自分を奮い立たせ、積極的に自分の意見をクラス全員に伝えるようにしました。そうする内にクラス全体が協力的になり、それがまた私の頑張る力になったように感じます。また、練習を繰り返すに連れて、クラスの団結が強くなっていくことも身を持って感じることができました。結局、合唱コンクールでは良い結果を残すことはできませんでしたが、私の心は達成感で溢れていました。それは、たくさん悩んで辛い思いをしたからこその達成感だったのだろうと思います。これから先の人生の中で、自分は不幸だと感じることがあるでしょう。しかし、あきらめず努力を続けることで幸せへの道が必ず開けるはずです。どんな困難が立ちはだかっても決して屈せず、常に前を見据えることができる心が大切なのだと思います。

久松 茅乃(文学部 英語学科2年)

 
2013 クリスマス号

−朝の礼拝から 1−

「きみのたまものを用いよ」

ローマの信徒への手紙 12章6節〜8節

 10月初め、聖路加国際病院の日野原重明先生が102歳になられたというニュースを耳にしまして、9年前の『日野原重明氏講演会(文学部特別企画)』の感動とその時に伺った“ペイフォアード”についてのお話しを思い出し、心が躍りました。“ペイフォアード”とは“受けたご恩をその相手に返すのではなく違う形にして次の人に渡す”ことで、思いやりのバトンをつないでいく行為であるといったことでした。
 さて、私は日々「活水の人たちは優しくて素敵だなぁ」と誇らしく思っています。大きな荷物を運んでいると必ず誰かが「大丈夫ですか?」とドアを開けてくれます。欠席しがちな友達を心配し必死になってモーニングコールをしてくれる人がいます。「こんにちは!」と笑顔で元気をくれる人、いつも優しい口調で話しかけてくれる人、試験後の消しゴムくずをきれいに集めて席を立つ人…。学生の皆さんや先生方、職員仲間の自然でいて美しい行為(=持ち味の発揮)は、まさに他人の心をあたたかく包む素敵なペイフォアードだなぁと思うのです。それはきっとご家族の愛情や友達の支えや恩師の励ましを沢山受け取ってこられたから…、そして何よりも「私はいつもあなたのそばにいますよ」と私たちを愛してくださる神様が、“他人を愛するための良い持ち味とそれを活かす使命”をそれぞれに備えてくださっているからではないかと思えてくるのです。
 やさしさや誠実さ、鋭さや穏やかさ、人を和ます朗らかさ、力強い行動力…、など神様から賜った自分ならではの持ち味を意識してみませんか。それを発揮するときっと人の心に灯をともすことができて、かつ自分の心もあたたかくなる筈です。自分に向けられた思いやりのバトンを素直に受け取ったら、さあ発信の準備です。自分ならではの良い持ち味を最大限に活かして、次の誰かの心に愛を届けることができますように…。

橋本 祐子(文学部・生涯学習センター事務室)

−朝の礼拝から 2−

「嵐を静めたイエス」

ルカによる福音書8章22節〜25節

 今年の秋は台風が多い季節でした。今もなお、フィリピンでは甚大な被害が残っています。
 ルカによる福音書8章22-25節はイエスと弟子たちが舟に乗っているときに嵐がきた場面です。
 その嵐も弟子たちが水をかぶるほどの突風の大嵐でした。しかし、イエス様はなぜかその大嵐の中でもぐっすり眠っていました。なぜ、大嵐の中で眠ることができたのか疑問です。もしも雷くらいであったなら私も眠ることができるけど、沈みそうな舟の中にいたら、さすがに起きるのではないかと思いました。弟子たちが必死に助けを求めてようやくイエス様は起き上がりました。そして風と荒波をしかりつけると大嵐は収まったのです。この行動を見ると絶対に人間にはできない、神様の力が働いていると思います。そのあと、イエス様は弟子たちにあなたがたの信仰はどこにあるのかと問われました。いつもイエス様のそばにいて、数々の奇跡を見てきた弟子たちでさえも、大嵐に恐れてしまいました。イエス様はきっといつも一緒にいた弟子たちに私がいるから大丈夫だと信頼してほしかったのではないかと思います。神様は私たちが信じていなくても拒否してもいつも一緒にいてくれます。
 私たちの生活の中には大きな嵐や小さな嵐がやってきます。私も多くの問題に直面することがあります。そんな時でも、神様はいつもともにいて、助け導いてくれることを覚えながら日々過ごしていけたらと思います。

石原 麻衣(音楽学部 音楽学科3年)

 
2013 秋季号

−朝の礼拝から 1−

「ぶどう園の労働者のたとえ」

マタイによる福音書20章1-16節

 聖書を読むと、理解することが難しいたとえ話が書かれています。「ぶどう園の労働者のたとえ」もその1つです。ぶどう園の主人は、夜明け、9時、12時、3時、5時の5回に渡り、労働者を雇いました。夜明けから働く労働者に1日1デナリオンの約束をして雇いました。1デナリオンとは、その当時1日生きるために必要なお金だったそうです。そして、夕方になり、最後の5時に来た労働者から順番に1デナリオンずつお金を払ったのです。夜明けから1日中働いたものも、5時から数時間しか働かなかった者も全員1デナリオンの賃金だったのです。しかも、働いた時間の少ないものから1デナリオンをもらったのです。夜明けから働いたものから順番に支払ってくれれば、まだ理解の余地はあるでしょう。なぜなら、夜明けから働いたものは、5時から働いた者の賃金がいくらだったか見なくて済んだからです。
 1節に「天の国は次のようにたとえられる」と書かれています。天の国とはこのような不公平なものなのでしょうか。イエス様は何を言いたかったのでしょうか。恐らくこのようなことだと思います。夜明けから働いた労働者は元々1日1デナリオンの約束で働いたわけです。なにも主人は、悪いことはしていません。夜明けから働いた労働者は、何に不平を言っているかというと、後から働いた労働者が同じ賃金なのはおかしいといっているのです。
 私たちは、とかく夜明け時に雇われた者のような見方をしないでしょうか。不公平だ、ずるいと思ってしまいます。しかし、それは他人と比較することにより、発生する問題なのです。他人と比較して、自分は何を持っている、何を持っていないと考えてしまうと、いつまでたっても私たちの心は満たされません。欲望はいくら満たされても、際限がありません。私たちは日々、他人と比較しながら生きていないでしょうか。比較をやめて、日々感謝できることに感謝しながら生活すると、生きることが楽になりますよ。

椎名 雄一郎(音楽学科)

−朝の礼拝から 2−

「神はわたしに笑い(笑顔)をお与えになった。」

創世記21章6節

 サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を/共にしてくれるでしょう。」アブラハムとサラの子イサク。イサクはヘブライ語で「笑い」という意味です。「神はわたしに笑いをお与えになった。」とあるように、神様は私達に「笑顔」をお与えになりました。
 先日渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」を読みました。中でも印象に残ったのは「不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。私たちは時に、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむのです。笑顔で生きるということは、立派なエコなのです。」の箇所です。
 思い浮かべてみてください。皆さんも友達の笑顔、恋人の笑顔、家族の笑顔等、毎日の暮らしの中でいろんな笑顔に出会い、与えられています。その笑顔に癒され、喜びを感じ感謝しながら過ごしています。また同じように皆さんの笑顔も友達や恋人、家族をしあわせにしています。与えられた人を豊かにしながら、与える人はより一層豊かになる―それが笑顔です。もちろん毎日四六時中笑顔で過ごしたいですが、なかなかそうもいかない時もあります。でもそんな時こそ意識して笑顔で過ごしてみましょう。もちろん友達や愛する人と一緒のときは自分のいちばんいい笑顔でいるように心がけ、さらに普段何気なく行っている行動に笑顔をつけてみてはどうでしょうか。きっといいことがありますよ。
 意識して笑顔でいることは、難しいことです。初めは不自然だったり、周りの人達の反応も今一つかもしれません。でも笑顔は赤ちゃんや子ども達の笑顔のように伝染するものです。皆さんが笑顔でいれば、笑顔が広がっていきます。神様から与えられた笑顔を周りの人たちに広げ、神様の愛と喜びをともに分かち合っていきましょう。

山上 亜紀(総務課)

 
2013 初夏号

−朝の礼拝から 1−

「カンボジアの子どもの生活意識」

ルカによる福音書10章27節
マタイによる福音書19章19節

 私は、これまで度々カンボジアを訪れています。それはボランティア・グループ「カンボジアの子ども達の教育を支援する会」の一員として、首都プノンペンから南東へ約20キロの場所にあるコッ・プラック小学校の読書教育の支援や同校の先生・子ども達と交流するためです。
 カンボジアの義務教育は、日本と同じく小学校6年間、中学校3年間の計9年間となっています。子ども達が義務教育を無償で受ける権利は、カンボジア王国憲法で保障されています。しかし、現実には入学しても家が貧しく、手伝いをしなければならなかったり、親が教育の大切さをあまり理解していないために留年したり、中途退学する子どもも少なくありません。カンボジアの小・中学校は、午前(7時〜11時)と午後(1時〜5時)の2部制がとられています。その背景には、教師の数が少ないことと教室の不足があります。この問題は、地方では特に深刻です。学校には、理科室も体育館もありません。教室には教材・教具など設備らしいものは何もありません。音楽、美術といった教科もなく、もちろん給食はありません。しかし、学校で見る子ども達の表情は概して明るく意欲的です。
 今回小学校5年生45名、6年生48名計93名を対象に生活意識調査を実施しました。
 調査は質問紙法で行い、質問内容は、生活リズム、手伝い、学校や先生に対する思いなど、子ども達の基本的生活習慣と意識を問う質問13項目です。調査の過程で「神様が3つだけ願いをかなえてくださる」と言われたら何をお願いするか質問しています。ここでは「神様への3つのお願い」について報告します。日本の子ども達の場合、「お金」や「ゲームのソフト」など「物」であるという調査結果がありますが、コッ・プラック小学校の子ども達は「賢くなること」「自分の健康と長生き」など自分についての願いも挙がっているのですが、最も目立つのは「家族の幸せ」「家族の健康」など家族についての願いそして「先生の幸せ」です。「物」についての願いは出てきません。
 一般に貧しさは、マイナス面が強調されますが、必ずしもそうではなく、むしろ家族の絆を強めたり、心を豊かにする面があると思います。

前田 志津子(子ども学科)

−朝の礼拝から 2−

「狭い門から入りなさい」

マタイによる福音書7章13・14節

 朝のテレビ番組で、登山家である野口健さんの対談が放送されていました。野口さんは、清掃登山家として環境問題に取り組まれています。なぜ、野口さんが環境問題に取り組むようになったのか、とても興味深いことを話されていました。
 野口さんは、環境問題には全く興味が無かったそうです。エベレストに登頂した時に、テレビや写真集で見るエベレストとは全く違う現実を目にします。ベースキャンプのゴミの散乱。よく見てみると日本語のゴミも多かったそうです。外国の登山家から次のようなことを言われます。「毎年、日本から登山家がやってきてゴミを捨てていく。日本人はヒマラヤをマウント富士にするのか。日本人は、自分の国だけでなくエベレストまでも、富士山のごとく汚すのか」と世界の舞台で自分の国の山を否定され、とても悔しかったそうです。「確かに一部汚したのは日本人かもしれない。だったら日本人がゴミを降ろせばいいし、他の国の登山家が残していったゴミも降ろそう。最終的に、エベレストを美しくしたのも日本人だ。と言われれば文句無いだろう」という気持ちから富士山の清掃活動が始まったそうです。
 野口さんは、NPO団体「富士山クラブ」を訪ねゴミの現場に案内されます。その時に、お父さんの言葉が頭に浮かんだそうです。野口さんのお父さんは外交官でイエメンに赴任されており、政府から援助の申請を受ける仕事をされていました。お父さんは、15歳の野口さんを連れてイエメン中を旅してまわります。紛争地帯や、救急車も無く医者も不在の病院で重症の患者が廊下に横たわり、手遅れで次々に亡くなっていく状況を目の当たりにし、非常にショックを受けたといいます。どうしてこんな場所に連れてくるのかと尋ねたら、こんな答えが返ってきたそうです。「ただ、政府から受ける援助をしているだけでは本当に困っている人の援助にはならない。世の中にはA面とB面がある。パッと見て見える世界はA面の世界で、自分で行かないと見えてこないのがB面の世界だ。そのB面に世の中のテーマがある」野口さんは、長い時間を経て富士山のゴミを見たときに、日本で一番高く美しいといわれている富士山のB面に出会ったとおっしゃっていました。
 今朝の御言葉は、「広い門ではなく、狭い門から入りなさい」とのメッセージです。狭い門は見つけにくく、通りづらいために避けてしまいがちです。しかし、勉強や仕事に向かう時、自分自身を見つめる時に狭い門を探し、歩き出すことが神様から与えられたテーマに出会うことが出来るのではないでしょうか。狭い門を見つけ出す冷静で豊かな感性と歩き出す勇気を求めていきたいと思います。

大曲 喜美子(音楽学部事務室)

 
2012 年度卒業式より

魂譲り(譲り手)

 今日、私たちは活水女子大学での学びを終え、それぞれに与えられた道を歩もうとしています。
 私たちは、大学生活を通して学問のみならず、多くの貴重なことを体験することが出来ました。本当に素晴らしい出会いと、大切な仲間に恵まれました。また、私たちの個性を重んじてご指導してくださった先生方のおられる活水女子大学は、学生としても人間としても成長できる素敵な学び舎です。私たちは、活水女子大学が母校であることを誇りとし、それぞれの分野で個性を生かし歩んでいきたいと思います。
 この手桶には 「活ける水を汲むものとなるように」 との学院創設者エリザベス・ラッセル先生の願いが込められております。
 今回私は、卒業生を代表して「白」と「オレンジ」のリボンを新たに結び加えて、在学生の皆様にお譲りいたします。白のリボンには、「すべてのことをありのまま受け入れるやさしさ」 を、オレンジのリボンには、「どのようなときにも希望を持ち続ける勇気」という願いを込めております。在学生の皆様、どうぞこの2本のリボンに込められた思いを心に留め、お一人おひとりが 「活ける水」を汲みとり、さらにそれを周囲の人々に分け合う人になってください。
 最後に、皆さまの歩みの支えとなるように、旧約聖書 箴言19章21節のみ言葉 「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」 を贈らせていただきます。私たちの思いつかない神様のご計画は、良い結果をもたらします。
 この日まで私たちを支えてくださった家族と、見守ってくださった先生方や職員の皆さま、励ましあいながら共に歩んできた友人、また、いつも共にいて導いてくださった神様に感謝いたします。そして、この活水学院の上に、神様の豊かな祝福と導きが限りなくありますよう心からお祈りいたします。

小笹山 美紀(文学部第29回人間関係学科卒業生)

魂譲り(受け手)

 卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。ただいま、これまで多くの先輩方より受け継がれてまいりましたこの手桶を、皆様からお譲りいただきました。
 今年は新たに「すべてのことをありのまま受け入れるやさしさ」との願いを白のリボンに、「どのようなときにも希望を持ち続ける勇気」との願いをオレンジのリボンに託し、結び加えていただきました。
 私たち在学生は、この2本のリボンに込められた思いを心に深く刻み、「永遠に渇くことのない活ける水」をくみ続ける活水の学生として歩んでまいりたいと思います。
 今日、晴れの日を迎えられた皆様は今、様々な思いを抱いておられるでしょう。皆様方は、この学び舎で出会った人々の支えや励まし、また、神様の見守りと愛の中で得た様々な体験や学びを通して、人間としても女性としても大きく成長されたことと思います。
 卒業後はそれぞれの道を歩んでいかれますが、喜びや感謝できるときばかりではなく、困難や忍耐を試されるときもあると思います。しかし、どのような時にも神様が共にいて最善の道を備えてくださいますから、信じること、輝かしい明日への希望を持つこと、隣人を愛することを忘れずに歩み続けてください。
 最後に、今日から始まる新たな歩みの上に、神様の豊かな祝福がありますよう心よりお祈り申し上げます。

野口 亜莉沙(文学部英語学科1年)

 
 
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