キリスト教教育

キリスト教教育

 

活水女子大学では、授業期間中、火曜日と木曜日に「朝の礼拝」をおこなっており、心洗われるひと時をもって一日を始めることができます。15分間という短い時間ですが、オルガンに導かれて讃美歌を歌い、聖書のことばに触れ、メッセージを聴きます。メッセージは、宗教センターが年に5回発行している「Chapelmate(チャペルメイト)」に掲載されています。  このページでは「Chapelmate」の中から、朝の礼拝と「魂譲(たまゆず)り」の言葉をご紹介します。

 
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2013 冬季号

−朝の礼拝から 1−

「必ずあなたと共におられる神」

イザヤ書41章10節

 私はチャペルで話すチャンスが多く、説教する喜びも知っています。神から呼びかけられていると信じていますが、外国語で話す時は抵抗を感じます。けれどもこれは言い訳にすぎません。神の呼びかけについて私達は色々な言い訳を考えがちだと思います。
 聖書の中の人物も、そういうことが少なくありません。モーセもエレミヤも神様から召された時「え?私を?」というあまり積極的ではないような反応を示しました。モーセの場合は、次の対話があります。
神  様:今、行きなさい。私はあなたをファラオの元に遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。
モ ー セ:私は何者でしょう。どうして、ファラオの元に行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。
 神はそういう疑問に直接答えません。代わりに「私は必ずあなたと共にいる」と約束します。
 エレミヤの召命の時、同じような会話があります。
神  様:母の胎から生まれる前に私はあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。
エレミヤ:ああ、わが主なる神よ、私は語る言葉を知りません。私は若者にすぎませんから。
神  様:若者にすぎないと言ってはならない。私があなたを、誰のところへ遣わそうとも、行って、私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す。
 私にとっては、神とモーセ、神とエレミヤとの対話が、大きな慰めと励みになります。自分がふさわしくないと感じる時や年齢的に適当ではないと思う時、言葉が出てこないのではないかと思い、よく話せても言うことが無視されたり、信じてもらえないだろうという不安がある時、「彼ら」が誰であろうと、「彼ら」を恐れている時があります。旧約聖書の大人物でさえ、同じような気持ちがあった事を知ると安心します。神様は彼らの疑問に答えた形での約束を私にもします。「行きなさい。私が必ずあなたと共にいます。」

シーラ・ノーリス(英語学科)

−朝の礼拝から 2−

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」―海外に出てみましょう。

ローマの信徒への手紙12章15節

 私の国際交流の仕事の背景をお話いたします。
 私は活水学院の前、YMCAで27年働きました。私がキリスト教団体で働く契機は若いときにYMCAに出会ったからです。正確にはYMCAで働くキリスト者に出会ったからです。YMCAでは青少年活動、成人の職業教育の仕事をしていました。私がいたYMCAは小さなYMCAで財政的に豊かではありませんでした。30数年前、アジアへ行く研修旅行の募集があり、私はその旅行に「ぜひ行きたい」と手をあげ参加しました。今思えば、乏しい経済状態のなかで参加を許したトップに感謝しています。その旅行で東南アジアと香港を2週間程訪ねました。これが私の国際交流の仕事をする出発点になりました。その後、専門学校生と韓国や東南アジアに一緒に行き、日本語学校で留学生の受け入れなどの仕事が増えていきました。その中でいつも考えていたことは若いときに世界に触れ、視野を広げれば心が豊かになるという事です。通り一遍の観光ではなく、訪問した国の人々と交流を持ち、交流を通して視野を広げることです。
 ベトナムに帰った元留学生が母国で結婚式を挙げます。活水の学生とタイの元留学生数名が出席します。彼女たちは活水で出会わなければベトナムの結婚式に出る事もなかったと思います。
 今後、日本を取り巻く環境は大きく変化し、地球は益々狭くなります。大学時代に自分を探しに海外に出ることをお勧めします。
 韓国の協定大学の日本語学科のホームページで7〜8年前に卒業した卒業生に出会いました。卒業時に韓国に留学して韓国語を勉強したいとセンターに相談に来た学生です。協定大学の日本語学科の助教授と紹介されていました。働いていると聞いていましたが大学で助教授として認められている事を知りなんだか嬉しくなりました。
 世界のどこにあっても「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」と他者と寄り添うことができますように願っています。これが活水生です。

山田 樹市郎 (国際交流留学センター室長)

 
 
2012 クリスマス号

−朝の礼拝から 1−

「自然を愛する心」

創世記 1章1〜12節

 私が所属している長崎バプテスト教会は、現在無牧師状態で、新しい牧師先生が着任されるまで、教会員同士で教会を支えています。そんな中、私に与えられた働きの一つが教会の牧師館で寝泊まりをするということです。夜教会に誰もいないのは、防犯の観点から言って望ましくなく、私が寝泊まりすることになりました。
 牧師館に住むようになってから、歩く機会が増えました。学校から新大工までかなり距離がありますが、これは絶好の散歩コースであることに気づかされました。途中、中通商店街を通ります。この商店街は古い町並みが続き、まるで昭和の時代にタイムスリップしたような感覚に陥ります。それから中島川沿いを歩いていきます。この川も眼鏡橋を始め、歴史的建造物が多く、夜ライトアップされている橋の美しさは言葉では言い表せません。川には鯉もいて、背中の模様が月の光に照らされて、神秘的な色彩を彩っています。川のせせらぎとともに、秋の季節にはコオロギの鳴き声も聞こえます。そんな自然が奏でるハーモニーを聞きながら、月光に夜道を照らされ、私は岐路に着きます。長い一日が終わり、心を休めるのには最高の通勤路だと思います。
 神様は我々人間のために、天地・大地・動物・植物を創造され、我々はその恩恵に授かることができます。学生の皆さんは日々の勉強で大変なことでしょう。そして人間関係の煩わしさから心が痛むことがあると思います。そんな時は是非、外に出て自然と触れてみてください。長崎には自然が多く、神様の恵がたくさん受けられます。そして、神様から授かった恵は大切にし、次世代に引き継いでゆきましょう。

狩野 暁洋(英語学科)

−朝の礼拝から 2−

「人生の歩みについて」

マタイによる福音書 5章21〜26節

 自分の人生を歩むことについて新たな視点を与えてくれた二人の方の言葉を紹介します。
 一人はウララセッションという韓国のグループのリーダーの方の言葉です。彼はガン末期の状態にもかかわらず、音楽活動を続けています。ある番組で「死ぬことが怖くないですか?」という質問に対して、「死はすべてに与えられているものですから怖くはないです。私にとって本当に怖いのは、日々を無意味に過ごすことです」と答え、そして続けて「一日一日、家族、恋人、友人など自分を取り囲むすべてのものに感謝を持って、愛をもって精一杯生きることが生命に活力を与えていく」と答えました。
 二人目は、人気キャスターから一転転身して作家になった女性の方の言葉ですが、転身していく過程で、その道は決して平坦ではありませんでした。悩み苦しんだことを振り返った後で、「苦しいからといって逃げるのではなく、一年後、五年後どのような自分になって生きたいのか、そのために自分が今出来ること、やるべきこと、そして新しく挑戦していくことを書き出し、その結果として考えられる最高のことと最低のことを導き出し、そのどちらにも耐えうる心と共に必要な努力を惜しまない精神力と覚悟を自分の中に創り上げていくのだ」という二人の言葉を聞き、私はとても衝撃を受けました。振り返ってみると自分がどれほど生きる道を狭めているかということに気づかされました。自分の人生は自分で切り開いていくものであり誰も侵すことができない大切な神聖なものです。そして何よりも愛する存在、愛される存在がそこには必要不可欠です。家族、友人、恋人など今まで様々な出会いが与えられ、人生を切り開き、人生を活かす事は、人間に与えられた希望と愛にあふれた、苦しさと喜びが混在するクリエイティブな作業なのだと感じ、一日一日を精一杯生きたいと感じました。

齊藤 圭子(看護学科4年)

 
 
2012 秋季号

−朝の礼拝から 1−

「アラン先生の記念日に想う」

ヨブ記2章20〜21節

 朝のチャペルを担当させていただいた6月12日、折りしも英語学科のアラン先生が天に召された日であったことは偶然ではないような気がします。
 1年前、この時アラン夫人から彼に連絡がつかないとの心配を受け止め、救急車レスキューの発動要請、ご無事であることを祈りながら今何が起こっているのかまた何が起こるのか、あるいは何もないのか、不安を抱きつつも、部屋に入ったレスキュー隊から聞こえてきた声の感じから何かが起こってしまったことを察知しました。腰が抜けそうな自分を立て直し、その場に立ち合ったことが現実だったのだと今さらながら脳裏を掠めます。そのときの数時間が私のこれまでの人生の中でこれほど長く感じられたことはかつてなかったような気もします。
 アランご夫妻との出会い、そして今想うのは夫人が1年経って言われた言葉です。「これまで彼の死を認めたくなかった、しかし意識して認めることにしました。そうすることが彼が生きてきたことを認めることになることに気付きました。」つまり死を受け入れなければ、生きてきたことも受け入れないことになるという訳です。夫人はこれまでのことを受け入れつつ、これからの事も受け入れていきたい、と。
 彼女のこの言葉を聴いて私はアルフォンスデーケン先生の悲嘆のプロセスを覚えます。人によって違うかも知れません。愛する人の死という衝撃によって精神的打撃、否認、死という事実を認めることを否定する段階。罪の意識「こんなことになるのなら、もっとこうしてあげればよかった」という心境に陥る段階。次に孤独感、そして孤独感からあきらめ、あきらめるという言葉には正に「明らかにする。」というニュアンスが含まれています。自分の置かれた状況を明らかに見つめて受け入れ受容する段階、つらい現実に勇気をもって直面しようとする努力が始まります。そして、最終段階は希望です。新しい希望の光が差し込んでくるのです。まさに復活のしるしだと思うのです。
 私の好きな祈りの言葉にアメリカの神学者ライン・ホールド・ニーバーの言葉があります。「神様、変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えてください。変えることのできないものについてそれを受け入れるだけの冷静さを与えてください。そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えてください。」

前田 志津子(子ども学科)

−朝の礼拝から 2−

「求めなさい」

マタイによる福音書 7章7〜8節

 私は7月8日にバプテスト教会で洗礼を受けました。洗礼の準備をする中で、アダムとエバが 「善悪の知識の木」の実を食べ、神様に逆らって生きる道を選んだことで、私たち人間はみな、神様に逆らう自分勝手な道を歩んでいることを知りました。私自身も、自分を幸せにしてくれるように一方的に神様に求めたり、神様が与えてくださる祝福を求めたりするだけで、神様を愛し、共に生きることを願っていなかったことに気付かされました。私自身が神様に背を向けて自己本位に生きてきたことこそが罪であることを知りました。
 にもかかわらず、私たち人間を愛しておられる神様は、罪深い人間の代わりにキリストを十字架につけられ人間を赦し、救いの道を示してくださいました。
 今、私が大学に行って学んでいる現実を思うとき、不思議な気持ちで一杯になります。それは、聖書のみ言葉にある ヨハネによる福音書16章20節「その悲しみは喜びに変わること。」そして、ローマの信徒への手紙8章28節にある「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」のみ言葉にあるように、人生における苦しみが、困難という問題や課題で終わるのではなく、神様の導きによって祝福に変えられるということを体験しています。今、私は「これから、何があっても恐れないという信仰をもって、出会っていく方々にもこの素晴らしい神様のみ言葉と希望とを伝える人になりたい」と思っています。
 私が神様を知らない時から神様は、私の心の中にある心の叫びを知っていてくださいました。かつての挫折の痛みが、今は、わずかながらも人の痛みを理解できる者になるようにと導かれたのだと思います。今後は、これまでの体験を活水女子大学での学びの後に活かせたら…と、願っています。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書 3章11節)

小笹山 美紀 (人間関係学科4年)

 
2012 初夏号

−朝の礼拝から 1−

「神の国とは一体どこにあるのか?」

ルカによる福音書17章20〜21節

 ルカによる福音書では「神の国」はあなたがたの間にあるとされています。以前使われていた口語訳聖書では「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」と翻訳されていましたが、現在使われている新共同訳聖書では「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と変更になり、かつては心の中にあるとされてきたこともありましたが、現在の訳では「間にあること」となっています。
 他に参考になる箇所としてマルコによる福音書1章14節から15節にかけて、「イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」また、マタイによる福音書6章33節には、「だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられる。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」さらにヨハネによる福音書の14章6節には、「私は道でありキリストの十字架を通してでなければ神の国には到達しない。」とあります。
 これらのことを考え合わせると、いろいろな解釈の仕方がありますが、『救われて義とされる者の間に神の国がある』個々が神を受け入れて、義とされた者との間に神の国がある、個と個の存在が大切で、それらは例えば血縁や地縁といったつながりや絆を持って存在し、その間に神の国があることになります。
 私の専攻である文化人類学にも、社会的ネットワーク論という分野があり、人の行動を理解して説明する際、絆やネットワークの重要性が認識されています。代表的なものは擬制的な親子関係、社会的、生物学的親ではないけれどそれに近い親子関係です。大学生活のなかにも寮生活や同じクラスや同じ講義の受講生等の間に絆やネットワークは存在します。新入生の方々も、在学生の皆さんも新学期を迎えたこの新しい環境のもとで積極的に人と人とのつながりを広げていってくださることを願っています。

石井 奈緒 (現代日本文化学科)

−朝の礼拝から 2−

「わたしの助けはどこからくるのか」

詩編121編1〜5節

 今朝は、みなさんと神さまの御言葉を分かち合うときが与えられ、心から感謝しています。私は中国出身で、現代日本文化学科4年に在学している、徐然と申します。
 日本に滞在して一年が経ちました。最初は、慣れなかったところが多かったのですが、今は大部慣れたような気がします。日本語の学びも楽しいですし、日本の習慣も少しは理解できるようになりました。一年でこんなに変わるなんて、自分でもとても驚いています。留学生活に自信がなくて、悩んでいたとき、自分が馬鹿に思えていたとき、友達や先生達が勇気づけてくださいました。多くの人々の支えは、神さまの恵みで、助けだと思っています。4年生になりましたが、将来のことが不安です。4年生の皆さんと全く同じ悩みです。とりあえず、卒業論文を書けるかどうかが、今の最大の悩みです。日本語で卒業論文を書くのは難しいです。しかし、心配はしていません。これまでと同じように、多くの先生たちや友達に助けられながら、課題に取り組んでいきたいと考えています。また、卒業後の就職のことも今の悩みです。卒業後には、中国に帰る予定ですが、できれば上海にある日本の会社で働きたいと願っています。日本と中国との架け橋として、「神さまが与えてくださった賜物と、自分が用いられたらいいな」と思っています。
 考えてみれば、これまでの留学生活は「自分の悩みとの戦い」でした。しかし、悩みのせいで、できなかったことは何一つありませんでした。わたしと共に悩んでくださる神さまがおられ、その神さまにわたしは守られてきました。きっと神さまがこれからも私を助け、見守ってくださると思います。私たちをいつも愛しておられる神さまは、「まどろむことなく、眠ることもない方」です。私と同じく、皆さんも悩みがあると思います。そのとき、眠ることなく共に悩み、見守ってくださる神さまが、そばにおられることを思い出してほしいと思います。

徐 然 (現代日本文化学科4年)

 
2012 春季号(2011年度卒業式より)

魂譲り(譲り手)

 今日、私たちは通い慣れた学び舎を巣立ち、それぞれに与えられた新たな道を歩もうとしています。これまでの学生生活を振り返ると、何気ない日常の中での笑い、喜び、楽しみと共に涙や悩み、そして葛藤もありました。それらひとつひとつは、私たちの人生を形づくるかけがえのない学びであり思い出です。
 活水学院は今から133年前、愛と奉仕を建学の精神として掲げ、この学院に連なる全ての者が、いつまでも渇くことのない活ける水を豊かに汲み取り、永遠の命を得るようにとの祈りを込めてラッセル先生が創立されました。この手桶には、その精神が満ち溢れており、ここに結ばれてきたリボンの一本一本には、多くの先輩方の祈りが託され、活水の伝統として今もなお受け継がれております。
 今年は、新たに「明るい未来を創造する希望」を象徴する白のリボン。「与えられた生命(いのち)を尊重し合う素直な心」という意味を託した空色のリボンを結び加えてお譲りいたします。
 在学生の皆様、どうぞこの手桶で活ける水を汲み取り、互いを思いやる真心と高い見識を持つ女性を育てる学校を皆様の手で作り上げて下さい。
 最後に、コリントの信徒への手紙T13章13節の言葉を贈らせていただきます。
 「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
 この日まで私たちを支えてくださった家族と、教職員や学院に携わった方々、地域の皆様、共に学んできた卒業生及び在学生の皆様、そして、いつも導いてくださった神様に感謝すると共に、活水学院の今後更なるご発展を心からお祈りいたします。

藤原 かおり(健康生活学部第7回子ども学科卒業生)

魂譲り(受け手)

 卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。ただいま、これまで多くの先輩方より受け継がれてまいりましたこの手桶を皆様からお譲りいただきました。
 今年は新たに、「明るい未来を創造する希望」との願いを白のリボンに、「与えられた生命(いのち)を尊重し合う素直な心」との願いを空色のリボンに託し結び加えて頂きました。
 わたくしたち在学生は、この2本のリボンに込められた思いを心に深く刻み、「永遠に渇くことのない活ける水」を汲み続ける活水の学生として歩んでまいりたいと思います。
 卒業後はそれぞれの道を歩んでいかれますが、どのような状況においても神様の愛を信じ、大きな夢に向かって歩み続けてください。
 最後に、今日から始まる新たな歩みの上に神様の豊かな祝福がありますように心よりお祈り申し上げます。

石原 麻衣(音楽学部音楽学科1年)

 
 
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